引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

抹殺博士 重野安繹伝4

趣味人
 重野には義太夫節を唱う趣味があった。おそらく最初の江戸遊学時代に染まったのだろう。官製の史料編纂という仕事の傍らで義太夫も唸っていたのだから、悠々たるものである。
 さらに猿楽の起源に関する研究も残している。今日からすると誤りも含む内容だったということだが、知識のレンジを全開にして事を論じる態度は後の南方熊楠金関丈夫花田清輝を彷彿とさせる。当たるを知らぬ才能と言うべきだろう。
 明治時代は前時代からの伝統文化がなお息づいていた。しかしたとえば前野良沢が嗜んでいた一節切は、既に明治時代には絶えていたのではないか。歴史的伝統文化を引き継ぐには、継承する人の才能だけでなく生活上の余裕も条件とするだろう。明治維新は爛熟とも退廃とも呼べる経済社会的発展の中で、伝統文化の伝承を引き受けた。その中の一人として重野安繹の義太夫があったが、一節切は遂に誰の網目にもかからなかった。
 後に重野は貴族院開会に際して、天皇に対する答辞に注文をつけたものだ。字義にこだわった衒学趣味の発言に思えるが、まさに重野にとっては趣味の範囲内のことだったのではないかとも見える。もしかしたら自分の目前で展開される出来事をすべて私的な趣味の次元で呑み込んでいたのかもしれない。
 大なるかな海、沓々満々天涯際限なし。