引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

気ままな読書録6 鴨長明『方丈記』

 鴨長明はこの随筆を晩年に著している。61歳で亡くなる(1216年没)4年前の57歳時の作だ。生きた時代は丁度平氏が勃興して衰え去ったのと重なる。源頼朝一派の源氏の時代が始まるのも見ていた。
 思想的には「永遠なるものはない」という、紀元前のギリシャ哲学や釈迦の思想と通底する普遍的な世界観に立脚しているが、こうした考えに至るには長明自身の失意の人生経験がなければならなかったのだろう。
 姓の通り、京の賀茂神社の神官の家柄に生まれた人物ではあるが、神道儒教じみた勿体ぶったところのない、風流人である。生来数奇ものだったから俗世の昇進に失敗したのか、それとも出世栄達に失敗したから遁世したのか、その辺りは鶏と卵の関係で計り知れない。
 しかし私はとにかく年齢を経てようやく出家し、そして「方丈記」を書き表した長明に好感を抱く。ところがそんな長明をして、決然たるところのない恨みがましい人物と見る向きもあるようだから、唖然とする。そんな御仁は一体自身を何様と思っているのだろう。私が読んだ岩波文庫版の解説者も、23歳で出家し生涯を悠然と旅と詩歌に明け暮れた西行を長明よりも買っている。当時は寿命がいくら短かったと言ったって、23歳で出家した者に人生の如何程が判ろうか。
 夫婦のうち早死にするのは相手を余計に愛した方だと書いた長明。彼に結婚経験があったかどうか判然としないらしいが、あったのだとしたら自らの冷淡を暴露しているのだし、なかったのだとしたら愛情の本質を冷厳に語っている。
 たとえ従者であっても他人を煩わして自らも気疲れするよりは、なんでも自分でやった方がよろしいと独居を尊んだ長明。さらには、そんな生き方に捕われる自分は悟りにほど遠いと自嘲する、仏教的な超自我も有していた。
 800年前の近代的自我形成者。