2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧
井上毅の政治的文書の中で私が最も重視するものの一つが、「佐賀の乱」直後の1874年4月に提出された「官吏改革意見」だ。大学南校職員時代に書かれた大学改革案が一体誰に対して差し出されたものか定かではないのと打って変わって、1874年4月の建議書は右大…
杉浦明平は『維新前夜の文学』(岩波新書、1967年)を著わして、その第4章に「儒学における保守と急進」と題し、佐藤一斎と並べて大塩中斎を立てている。両人を同等に並べたのは杉浦の炯眼だ。 大塩平八郎中斎の名を天下に轟かせたのは、言うまでもなく1837…
この本はこの国に1970年代までは活動していた、盲目放浪の女性芸人である瞽女(ごぜ)の歴史、作品を論じている。グローマーはジョーンズ・ホプキンス大学と東京芸術大学で音楽博士号を取っている専門家だから、瞽女うたの旋律を採譜して分析するのは当然と…
一年に満たなかったが出会いに満ちたフランス留学から帰国したのが明治6年(1873年)の9月。強烈な印象を残して先に帰国した大久保利通、そんな大久保が心から師事していた岩倉具視と相前後して祖国に戻ったのだった。 残留組の西郷隆盛、板垣退助、江藤新平…
大学南校退職は、私には意図的だったと思える。その年の終わりに井上毅は司法省に就職するのだ。今度は熊本時習館の先輩である鶴田の紹介と言われる。再就職までの10ヶ月ほど、横浜でフランス語を学習したり、政治経済に関する雑記帳を作成したりして過ごし…
「山窩小説傑作選」との副題が示す通り、10篇の作品を収録している。作品発表の時期は最も古い小栗風葉『世間師』が1908年、最新が細島喜美『野性の女』の1962年。1920年代のものが3作あり最多だ。この本は今年の3月に出された。どういう関…
幕末・維新期の井上が辿った動向は残された史料からしても明確ではない。この人は自身の歴史的な措定に無関心ではなかったから、当時を物語るものがないということは自らも語りたくない過去だと解釈して良いのではないか。とにかく故郷熊本と長崎や横浜との…
江戸時代も終盤に差し掛かる1824年、熊本城下の北東に当たる坪井に井上毅は生まれた。生まれた時に付けられた名は飯田多久馬。22歳の時に養子となって井上家に入る前は生家の飯田姓であり、10代の後半から自ら毅と名乗るようになるまでは多久馬で通した。幼…