引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

楽しい夜更かし

抹殺博士 重野安繹伝2

学者政治家 重野が歴史に名を留めるようになったのは、幕末維新という激動期に際会したからとも言えるし、また重野の才能資質がそんな激動の時代に適応していたからとも言える。なんとなれば彼は才識のみ優れた「儒者」でもなければ血気盛んな「志士」でもな…

抹殺博士 重野安繹伝1

徳之島 重野安繹は東京帝国大学教授にして貴族院議員として、名誉のうちに没した。その80年以上に及ぶ長い生涯の初期は、その時代の多くの武士身分の青年が見舞われた時代転換の波頭に翻弄された。 若き重野は薩摩藩の儒官(学者)として研鑽を重ね、20歳を…

夕暮れ、船着き場

大塩中斎とキリスト教

中斎が叛乱を起こす前、文政年間の終わりに驚くべき事件があった。1827年(文政12年)に起きたキリシタン処罰事件がそれだ。 豊田貢が事件の首謀者として書かれているが、この人物は女性である。幕末のイデオロギー闘争史を追うと、豊田貢らの「キリシタン」…

刑罰の懲戒主義と感化主義

「禁門の変」で24年の生涯を終える久坂玄瑞は、その5年前の1859年10月、「安政の大獄」吹き荒れ知友の橋本左内を失って、彼の思い出を自著『俟采択録』に留めている。左内は捕われて獄にあった時、獄中のしきたりが余りに酷いのを憤り、囚人には職業教育を施…

荻生徂徠を読む(3)

政治方法論において徂徠は飽くまで実践主義者であり、形而上学的な理想論を説き聞かせたりしない。人の教育法にしても、とやかく指示教示せずに、まずは自由にやらせてみるが良いと言っている。都市に農民が流れ住み着いて秩序が乱れる事態を収拾するためと…

荻生徂徠を読む(2)

こうして獲得された視点から発せられた彼の思想は、いかなる性格の代物だったか。それは徹底した愚民感と帝王論だった。なんとなれば、中国古代思想に表されているのは愚かな民衆を統治する帝王とはいかにあるべきかなのだから。武士階級も含めて帝王以外の…

荻生徂徠を読む(1)

岩波文庫で『政談』を以前読んでいたが、岩波日本思想大系本で『荻生徂徠』を読んで、他に『弁道』『弁名』『太平策』を読み通すことができた。 徂徠が生きたのは世紀が17から18に変わる前後の時代だ。江戸幕府創業から100年になんなんとする頃、世は戦乱の…

ビートルズ(1)

ビートルズは何と言っても中期、「ラバーソウル」「リボルバー」「サージェント•••」ですよね。若々しい創意に満ちて、演奏も上達しています。 作詞作曲家としての3人の個性もそれぞれに明確になってきます。競い合うようにして作り、互いの想いを尊重して…