引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

大瀧詠一「カナリア諸島にて」頌

 私の大滝詠一は、この曲を極点として脳裏にこびりついている。Aコードの基調音で、「夏の風」を表現して余りある。アフリカ大陸の西の大西洋上に浮かぶカナリア諸島は強風で有名な島だ。松本隆の詞が先か大滝の曲が先かは知らないけれど、吹き過ぎる熱風が止んだ「風も動かない」清涼とも静寂とも知れない海辺の有様を彫琢し尽くしている。
 音楽はメロディーだけでもヒトの脳裏に情景を表出できるが、言葉が入ればその効果は倍加する。一定の風速の風が吹く海辺は気温の変化にも乏しく、目紛しいコード変化にはそぐわない。単調さこそ夏の暑さを表現する方法なのだ。この曲はフレーズの変わり目にだけ段階的にコードを変える。イ長調という一番耳に馴染んだ基調音に乗せて、「薄く切ったオレンジを、アイスティーに浮かべて」、「時はまるで銀紙の、海の上に溶け出し」という色彩に満ちた言葉が、点景のように鮮やかな夏の光景を心に湧き立たせる。
 しかし輝く夏の心象は、「もうあなたの表情の輪郭も薄れて」別れの寂しさで暗転させられる。ラブソングの定石は、失恋や別離を匂わす表現によって恋心を募らせるもの。普遍的な恋愛の妙味を散りばめ、メジャーセブンスやフラットセブンスで開いてエンディングを迎える。
 もう誰にも作れないだろう、ポップスの絶品。
 今も時々CMのバックで使われたり、誰かがU-Tubeに映像を付けて流したりしているが、どんな再利用も越えた大きな美を湛えた曲なのだ。