引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

私説 井上毅伝3 決定的出会い

 大学南校退職は、私には意図的だったと思える。その年の終わりに井上毅は司法省に就職するのだ。今度は熊本時習館の先輩である鶴田の紹介と言われる。再就職までの10ヶ月ほど、横浜でフランス語を学習したり、政治経済に関する雑記帳を作成したりして過ごしている。この「余裕」は、次の職場が決まっていたからではないか。
 当時の司法省は江藤新平が司法卿だった時代。明治3年、疾風怒濤の時期に当たり江藤も、江藤の傘下にある司法省も変革・建設の意欲に満ちていた。本来「法家」的な志向の強い井上毅には、魅力的な職場であったに違いない。
 1871年12月に司法省に入りトントン拍子に出世しているのは、水が合ったからだろう。井上自身も後に振り返って、江藤の下で夜に昼を継いで仕事に勤しんだ毎日を憚りなく懐かしんでいる。
 しかし江藤との出会いが井上毅にとって決定的だったのではなかった。井上が就職する直前から出立した所謂「岩倉使節団」に途中参加する形のヨーロッパ行に江藤新平が加われず、部下であった井上らだけが合流したという偶然こそ、決定的と言える。井上がフランスに到着した時、岩倉使節団は既に合州国からイギリスを経て一年近くの旅を終えた時点。不平等条約改正という当初の目的が達成困難と自覚されて、大規模使節団の壮途が看板倒れとなってしまっていた。西洋事情の調査という名目はあっても、ただそれだけに100人以上の政治家、官員を出張させる根拠にはならない。使節団の後半は、言ってみれば帰国の理由付けを待つ旅となっていた。
 井上毅は洋行の同じ船に乗った成島柳北などと違って、精力的に任務を果たそうとしたように装っている。ただしその精勤振りは推測するしかない。なんとなれば井上がこの時期の日誌を残していないからだ。おそらくこれも後年自分自身で処分したものと思われる。
 私が仕事熱心だったように装ったと推測するのは、フランスでの詳細な交友録を書き残した成島柳北の記録に井上毅の名がたった一度、すなわち横浜で乗船した同乗者名の中にしか登場しないことに拠る。柳北は井上たちと違って真宗教団の欧州旅行の付き添いという気楽な洋行だった。才能に溢れる「道楽者」だから、柳北は活動的に見学もし遊行にも耽る。その際に司法省派遣団の連中とも同道している。たとえば郷里の学校での井上の先輩で司法省への紹介者でもあった鶴田や、長崎の通事出身で井上も長崎留学時に教えを受けた官吏などとも柳北は行き来しているのだった。
 これは不可思議な事実と言わねばならない。たとえば帰国前に井上がパリ南東のリヨンに小旅行した際に中江兆民と再会しているのだが、その事は正直に書き残し公開している。別段遊び回ったという記録ではないが、文部省派遣留学生の帰国騒動渦中にあった兆民から相談を受けて、留学延長を斡旋してやっているのだ。これとて1880年代の政治的な対立構図から見ると注目に値する事実だと思うが、何の衒いもなく書き残されている。
 私は両者が隠匿した結果だと推定する。柳北の原書が書かれたのはフランス行から帰国して直ぐだったのだが、発行されたのは1880年代初め、かの「明治14年の政変」直後だった。その前の1870年代後半は、新聞記者成島柳北にとって井上毅は不倶戴天の敵。柳北は紀行文原稿から井上毅の名を削った。井上も削除するだけで済みそうなもの、そのものを抹殺しなければならないほどに、当時の付き合いは密接だったのだろう。
 それだけではない。私はこの時に井上毅にとって生涯の一大転機となる出会いがあったと推測する。それは別言すれば、井上の政治世界への船出でもあった。岩倉使節団中の重要人物、岩倉具視自身、伊藤博文、そして誰よりも大久保利通との出会い。「明治6年の政変」前夜、遠く日本から離れて井上は江藤新平の部下から転身して岩倉-大久保-伊藤のラインに接近していた。もしこの推測が大いなる誤りであるなら、1873年9月に帰国した井上毅のあまりに急激で異例の出世の説明が難しい。しかしそうした転身を裏付ける接触をヌケヌケと書き記すには、井上の矜持が許さなかった。ここは一番、日本で学習に励んだフランス語を駆使してフランス法制の研究に勤しんだことにしておこう、序でにプロシアにも出かけたことにしておいて逸早くドイツ国家制度に関心を向けていたことにしておこう。ボアソナードは後に井上のフランス語の能力を高く買う発言をしているが、それ以外に彼の外国語能力を評価した者はいない。持ち帰ったフランス法制関連の書籍を翻訳したのは帰国後数年間の作業の末、他の翻訳官の助力を得てだったし、自分自身も自信がないと告白している。
 井上毅にとっての留学で得た最大の収穫は、岩倉ら政府首脳の人物と知己を得たことだったのではないか。明治新政府に関与しなかった成島柳北でさえ、木戸孝允と知り合い政府に誘われているのだから。