引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

気ままな読書録12 吉村昭『暁の旅人』

 新聞の本の広告欄で紹介してあったので買って読んだ。医師松本良順の史伝である。読後まず抱いた感想は、吉村作品にしてはいかにも淡白だという期待はずれである。

 同じ講談社文庫に吉村の『日本医家伝』というのがあって、それにも松本良順伝が載せられている。1970年代の初めに出た、医学関係の季刊誌『クレアタ』に3年間連載された短編をあつめた本だ。この『暁の旅人』は、吉村のあとがき執筆時日付が2005年初夏。30年以上の時を経て、その間に資料収集や関係者への取材などをもとに、書き直された作品ということになる。

 新資料によって史実が書き改められ、また新たに書き加えられた事項もある。しかし味わいに欠ける理由はそんなところにはなさそうだ。

 『日本医家伝』における松本良順は類まれなる行動者であり、また「奇行」の人である。軍医総監時代の2度にわたる「謹慎処分」事件を取り上げて、周囲の思惑に左右されない強烈な個性の人物と描いている。薩長新政府に反発して、恩義のある徳川幕府にあくまで忠誠を尽くしたのも、松本の頑固執拗な性格に基づくというように描かれている。

 こうしたイメージをもって『暁の旅人』を読むと、拍子抜けがしてしまう。この作品での松本は、現前の事態を淡々と受け入れ、右顧左眄することなく進む静かな覚悟の人である。逃れたが良いと諭されれば、従容と逃げ延びるのであり、病院開業に資金が必要となれば遠慮なく貸してくれと頼み込む。

 松本良順の人となりを証する最大の特徴が、薩長新政府に対する反抗心であったとすると、その明治維新政府に協力することを決意する局面は最高のクライマックスと言えよう。その場面は、『暁の旅人』ではたった5ページで収まっていて、当時兵部少輔であった山県有朋の訪問を受けたある一日で決しているのだ。松本はしばらく逡巡はするが、結局維新政府雇いの軍医に就任するのを承諾している。辞令は即日発行されたというから、山県の訪問以前に事前に打診があり内諾していた可能性がある。いずれにしろ、いかにもあっけない。

 松本良順の医師としての才能や先見性は、この作品を読んでも理解できる。しかしそれ以上の人物ではないのではないか。『日本医家伝』で書かれた「奇行」にしたところで、個性派ぞろいの明治人物伝の中では出色とまでは呼べない。

 とまれ、外交官であり外務大臣も務めた林董が松本の子であること、大磯海岸を海水浴場として推奨し宣伝したのが松本であったことなどが、新知見として得られたのは嬉しい。