引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

気ままな読書録15 『近代の超克』感想 その一

 1942年夏に物された論文と座談会を掲載したこの書物には、前年12月8日に開始された「太平洋戦争」緒戦の勝利の高揚感が色濃い。参加者皆が意気軒昂たる口吻を漏らしている中で、とりわけ溌剌たる発言をしているのが亀井勝一郎林房雄である。

 彼らには、「もしかしたら我々は欧米を越えられるのではないか」との希望が芽生えていたのではなかろうか。それは戦闘における勝利によって錯覚させられた幻影でしかないが、この国の国粋主義者はほんの一時でも「万国無比の国体の精華」を体験しかけたようだ。

 「現在我々の戦いつつある戦争は、対外的には英米勢力の覆滅であるが、内的にいへば近代文明のもたらしたかかる精神の疾病の根本的治療である」と亀井は論文で書く(15頁)。彼にとっては「明治以来、我々が実感した我々の近代といえば、これは地獄と云ってもいい」類いのものだった(202頁、座談会発言)。したがって「現在戦いつつある戦争」は「休息なき戦争」、終わりなき永久戦との認識が生まれ、果ては「戦争よりも恐ろしいのは平和である」という逆転も生じる(16頁、論文)。「明治以来の疾病」である共産主義自由主義などの平和の産物を一掃し去るまでは、戦争は終わってはない。修辞の行き過ぎとばかりは言えないかもしれない、

 明治維新政府がもたらしたものに対する嫌悪が自身に痛切に、読む側に痛烈に語られたのが、林房雄の論文「勤王の心」(83頁から)。自らの情けない過去を含みこんで、文明開化の明治維新そのものを笑い飛ばし否定し去る激越な情念の作である。

 「日本には外国の影響を断乎として受けない部分があった」(264頁、発言)し、「明治維新の志士が頭の中に持っていた原形は、日本の古代」「国民が天皇に直接し奉っていた無階級の時代」だった(243頁)と林は語る。それを自由主義、民主主義、そして共産主義が破壊し、国民に見えなくしてしまった。たとえば映画を生み出した「アメリカン・デモクラシーは衆愚の心をつかむ力を持っている」(258頁、発言)。こうして攻勢に曝されっぱなしであった日本固有のものを取り戻す絶好の機会が訪れたという認識で亀井と共通する。「大東亜戦争がどうやら文明開化に一応終止符を打った」(240頁、発言)。1940年12月の真珠湾攻撃から1年足らずの連戦連勝は、この二人にとって感慨一入だったことだろう。

 この両人をはじめ小林秀雄、そしてこの企てには参加していないが日本ロマン派の首謀たる保田与重郎などの「文学者」連には、観念の上での「この国固有のもの」を汚しつつあった欧米的な「近代」が払拭されるなら、戦争は大歓迎なのだ。戦争の敵手、政治の相手が負かされて、この国から退場する日が、この国にとって「近代の超克」の達成日であった。理論的にそうであるというより、情緒的にそう感じられていたのだろう。理論ではなく情緒優先の態度は、たとえば下村寅太郎を相手に「機械」について議論している場面でも如実に現れている。小林秀雄「魂は機械が嫌い」、河上徹太郎「相手にとって不足」、林房雄「家来以上にしてはいかん」(261頁、発言)。まるで子どもの言葉である。

 彼らロマン主義者の情緒依存の無責任性は、たとえば小林秀雄の戦後の発言でも相変わらず炸裂している。敗戦翌年の『近代文学』1946年2月号に掲載されている小林の弁を拾うと、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した」。「僕は無智だから反省などしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(337頁、竹内好による解説から)。バカの振りをしているだけで、旗色が良い時には利口ぶって雄弁に語っていたくせに。

 ロマン主義国粋文学者はある意味では判りやすい。保田のような「デマゴーグ(334頁、竹内好による)」も情緒的な非論理をあからさまにするから、見たくないものを見るような気持ち悪さが感じられる。