引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

気ままな読書録2 なつかしの『やちまた』

 足立巻一『やちまた』は発表時の1970年代には内容からしてまったく売れなかっただろうことが容易に察せられるが、現在でもどうか怪しい。本居宣長の長男、本居春庭の伝記小説。歴史好き、日本史好きの読者であっても、地味な国語学者の話だから、血湧き肉踊る躍動感は期待できない。
 話の進め方は独特だ。皇學館生たる主人公を一人称にして、舞台は戦前の軍国時代。皇學館教師に教えられた春庭という人物に興味を覚えた主人公が、学生生活の傍らで文献調査や実地踏査をしながら、本居春庭という国語学者の業績や人となりを考究するという形式を執る。実際は著者の足立が考えた春庭の人物像なのだが、しかし小説中の主人公が作り出した肖像として虚構されている。
 このような形式は、萩原延寿が『遠い崖』においてアーネスト・サトウを、松下竜一が『狼煙を見よ』で大道寺将司を描いた手法と似通う。話者と演者が交互に自在に入れ替わり、渾然として主張を強めている。思う存分に回り道をして、必ず本道に戻って来る。その脇道がまたおもしろい。私はまっすぐ続く一本道よりも、入り組んだ迷路の方が好きだ。
 期せずして書名の「やちまた」が、いくつもの方面に伸びる道路の意である。『詞の八衢』が『詞の通路』と並ぶ、本居春庭の主著の書名であり、この小説の題名はそこから採られた。
 この国の言葉の由来は、今なお不確かだ。西洋のラテン語の歴史がサンスクリット語に起源を持つインド=ヨーロッパ語の範疇で探求されるのとは次元を異にする困難さがある。なにしろ6世紀まで文字を使わなかったのだから、原型の復元は困難を極めるだろう。表音化された途端に表意文字でる漢字を利用したものだから、余計に音と構造が隠蔽された。
 本居春庭の業績は、主としてこの国の言葉の文法的な側面を追求して基礎付けたものだ。就中動詞の活用形の分類を明確にしている。19世紀初頭にここまでの文法把握をなし得た学者が西洋に、また中国に、果たしていたのだろうか。
 それも20代後半から眼病を患い、30歳代には失明した人物が果たした仕事だというから、驚嘆する。弟子に文献を読ませて、頭の中で論文を作り、妻に口述筆記させているのだそうだ。驚くべき記憶力と抽象力、そして構想力を持っていたと言わねばならない。
 一般に音で聴いた情報を頭脳に留めて、離合集散させ凝固凝結させた産物を、様々な媒体によって表現するのが、音楽家だ。音声学者も同じような経路で思考を言葉に転換しているのだろう。この時代の知識層は短歌や俳句を趣味としたから、音韻に鋭敏だった。本居宣長も、子の春庭も、日常的に、また旅の先々で、盛んに歌会を催している。まことに文化の馥郁たる時代ではないか。
 しかしそれにしても『やちまた』は売れなかった。つまり人々に読まれなかった。この国の文化程度はいかにも浅い。