引井総男の何か

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気ままな読書録3 老いて奮い立つ勇気 トマス・モア

 トマス・モアの「ユートピア」を読み終えた。中央公論社『世界の名著』シリーズ第17巻、エラスムスと合巻になっている。

 両人とも近代の明けやらぬ16世紀への変わり目に生まれ合わせて、時代の遅れと意図せずして戦わねばならない人生を送った。この巻は1969年1月に発刊されているが、この国のその時は全共闘による学園紛争が盛んだった頃だ。その時期に学生生活を送った多くの若者は、この本を読むことはなく「闘い」に勤しんだのであろうが、「敗北」後は就職し企業戦士に変じて、若い頃の「思想」を離れた。ところがエラスムスもモアもその反対、若い頃には実直に学問的な営為を積み重ね、中年期から「反体制」知識人としての相貌を新たにする。劇的で真実な生き方であると感心する。

 両人とも教会の組織、言論に関わって自らの学者生活を展開しているのだが、当時の教会は世俗権力と密接なつながりを持っていたからには、教会との対立は自身の政治的安全を脅かす結果をもたらすだろうことは、知的な彼らには容易に予想できた。それにも関わらず獲得した地位や名誉などを放擲してでも、自らが形成した理想としての生き方を守り通した。エラスムスローマ教皇からの数度の枢機卿就任要請を拒否しているし、モアは周知の通り大法官という高位を辞任し3年後には斬首刑に処せられる。

 それほどに彼らが大事に守り通した「思想」とは何だったのか。「痴愚神礼賛」と「ユートピア」に表現されている内容を一言に約めれば、いわゆるヒューマニズムとするに尽きる。ギリシャ、ラテンの古典精読から得られた人間性の本来に依拠した人間理解が彼らの思想、ヒューマニズムの柱だ。人間の本性に違背する現実の制度、風習を文学的な虚構を借りて間断なきまでに風刺する。単純な糾弾の書ではないし、既存の秩序の全否定でもないので、すぐに発禁処分には逢っていない。だからこそ当時の知識人の間には広く読まれたのだ。私が感心するのは、「ユートピア」のあとに付けられた「ユートピアにかんする詩と書簡」に載せられた、その時代の教会や政治関係の高位者の広がりだ。このような思想に共鳴して、北欧ルネッサンスは醸成されたことが理解できた。

 なお私が先にエラスムスを読んでしまった時にブログに書いたエラスムスの経歴年次は間違っている。巻末年表には二人を併記してあるので、モアの年次と取り違えてしまった。エラスムスは「私生児」としての生まれに苛まれて、若い頃は苦労している。31歳時に出した『格言集』は貧苦からの脱出策の一つだった。