引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

気ままな読書録8 ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』2ー2

 それでは一体彼らは何にビートされたのか。私はビート・ジェネレーションという時のbeatをずっと音楽のそれと勘違いしていた。作中ではさまざまに訳されているが、原義的には動詞beatの過去分詞形で、つまり「打ちのめされた」ということらしい。このことにも私は驚かされたのだった。スピード違反、飲酒運転はし放題、始終しゃべりまくり、女性を物色しては性交している、疲れを知らぬ「不良青年」のどこがbeatなのだろう。

 ここからは私の想像だが、合州国の「戦後」の始まりは、第32代大統領フランクリン・ローズベルトの長い在任期間が終わった時だった(1933年就任して在任中の1945年4月に没)。1930年代は体制の左右を問わず、先進資本主義国において統制経済国家主義的統治の蔓延した時代だった。大恐慌に見舞われた合州国も、おそらくローズベルト政権の下で御多分に洩れず「窮屈な」社会を現出していたことだろう。「戦後」の合州国右翼政治家・学者から、ローズベルト時代は「社会主義」と揶揄されたほどだ。ケルアックは1922年の生まれだが、1930年代をティーンエイジャーとして長じたのだから、それなりに「暗い」時代を生きたと言える。

 したがって私はbeatを「打たれて弾き出され、弾き飛ばされた」という意味に取りたい。先には「解き放された」とも解したが、要は「弾け世代」というのが実態に近いのではないか。この弾けた連中は、向かう目標を持たない。合州国東海岸に生まれ暮らしたから、その反対側の西海岸目指して爆走したにすぎない。とにかく先に進めば何か見つかるのではないか。自分の周囲に実在しない何かを求めて放浪するムーブメントを先駆けたのが、ケルアックが表現したところのビート・ジェネレーションの若者たち、ビートニクであり、この大きな波は1970年代初めまで続いたようだ。途中で黒人公民権運動やベトナム反戦運動と重なりながら。

 ただしケルアック自身は政治的にはまったくアパシーで、公民権運動や反戦運動には関わっていない。言ってみれば純粋「弾け世代」として生涯を全うし、ウッドストックコンサートが終わって2ヶ月後に47歳でこの世を去っている。

 さてこの文庫本は2007年に池澤夏樹個人編集の『世界文学全集』第1巻として青山南翻訳で出されたものだ。現代の「ヤバイ世代」は、どう読むのだろう。

 蛇足ながら、作中に多くのジャズ・バッパーが登場するのは嬉しい。イギリスから合州国に本拠を移したばかりのジョージ・シアリングも演奏している。