引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

荻生徂徠を読む(2)

こうして獲得された視点から発せられた彼の思想は、いかなる性格の代物だったか。それは徹底した愚民感と帝王論だった。なんとなれば、中国古代思想に表されているのは愚かな民衆を統治する帝王とはいかにあるべきかなのだから。武士階級も含めて帝王以外の一般人が云々するようなものでは、土台ないのだった。したがってこの射程からは、幕府の頂点に立つ将軍への期待感は益す。彼が『政談』を差し出したのは、将軍に要請されたからだった。武士も含めた民衆は、その定められた身分的な職務を坦々とこなせばよろしい。極めて保守的な政治思想しか出て来ない。
 徂徠の学問的な営為が「ルネッサンス」とも呼べるのは、その方法が続く時代に本居宣長や富永仲基という画期的学者を生み出すこととなったからだ。両人とも徂徠に直接の薫陶は受けていないが、自らの目で、頭で古典を読み直す作業を果たし、独自の論を打ち立てた。そして両人ともに、学問をそれ自体として追求したのであって、日常生活の拠り所を提示したのではなかった。生活信条の上では宣長も仲基も徂徠に似て保守的だ。