引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

荻生徂徠を読む(3)

政治方法論において徂徠は飽くまで実践主義者であり、形而上学的な理想論を説き聞かせたりしない。人の教育法にしても、とやかく指示教示せずに、まずは自由にやらせてみるが良いと言っている。都市に農民が流れ住み着いて秩序が乱れる事態を収拾するためとて、繰り返し提唱する武士の農村定住策も、武士に地域統治者としての自覚を取り戻させ、米の生産性を上げて「米経済」を復活させる意図があった。人がどう考えるかよりも、人を動かすことで変えようとしている。「人返し法」は時代を下って、幕末に水野忠邦が実行しているが、これが徂徠に倣ったものかは知らない。
 「物茂卿」と中国人のような名前で自称し、門人と中国語で会話した「中国かぶれ」の徂徠だったが、人情には固く、田中桐江という門人が上司を斬りつける事件を犯すと逃走を手助けして、遂には司直の追求から逃れさせている。この田中が神戸に隠棲して、徂徠学を富永仲基に伝える役目を果たしたのだった。

(結)