引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

荻生徂徠を読む(1)

岩波文庫で『政談』を以前読んでいたが、岩波日本思想大系本で『荻生徂徠』を読んで、他に『弁道』『弁名』『太平策』を読み通すことができた。
 徂徠が生きたのは世紀が17から18に変わる前後の時代だ。江戸幕府創業から100年になんなんとする頃、世は戦乱のない域内平和に馴れつつあった。制度は固まり、あるいは綻び始める頃だった。
 徂徠の革新性はいくつか上げられる。まず学問的な面では、所謂「古文辞学」と称される一種のルネッサンスを起こしたこと。江戸時代にこの国に生きる知識人にとって立ち返るべき古典とは、中国古代思想作品に他ならない。当時の支配的学派たる朱子学は精々孔子の説に依拠して古典を解釈したに止まったが、徂徠はそれ以前の殷、周の「神王」時代の古典作品を自らの手で(頭で)読み、解釈したのだった。いわば孔子が2000年以上前に行った作業を、自分でなぞったわけだ。そのために徂徠は中国古典を中国語のままに読むべく、渡来中国人や長崎通詞などから中国語発音を習っている。解説を書いた吉川幸次郎によると、半年もせずして修得しているらしい。日本人の漢文読み下し的な読みに頼らない、中国人により接近した語感・語彙感に基づき読めるように訓練した。さらに「礼」の思想に基づいて、漢詩を中国語発音で唱え合い、雅楽を奏でる会を催した。雅楽はこの国の古典音楽だが、もとは中国から伝わったものと解釈して実践した。