引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

気ままな読書録9 岡本綺堂他『サンカの民を追って』

 「山窩小説傑作選」との副題が示す通り、10篇の作品を収録している。作品発表の時期は最も古い小栗風葉『世間師』が1908年、最新が細島喜美『野性の女』の1962年。1920年代のものが3作あり最多だ。この本は今年の3月に出された。どういう関心と需要を受けての出版なのだろう。

 ところでサンカと言えば三角寛と連想されるが、私は田中勝也『サンカ研究』(新泉社、1988年第5刷)しか読んだことがない。それはこの国から消えゆく放浪生活者を民俗学的に調査し報告した好著だった。

 今回の読書で私が知ったのは、明治末から昭和初期にかけて、この国の小説家や、小説家の作品の読者に、サンカがどのように捉えられていたかだ。約言すれば、近代的な文化生活・思考様式に捕らわれない、前近代的なモノに対する懐旧的な思慕の情念である。

 サンカの無法を描写しても、それは近代制度に照らしての無法であって、法律用語的に言えば、サンカには犯意は認められていない。一方で生活倫理的には、むしろ高潔であるのはサンカであって、「我々」の方が低劣なのだ。こうした思潮が全篇に脈打っている。

 さらにもう一つの特徴は、サンカ女性を主人公に据えた作品が多いことだ。岡本綺堂『山の秘密』、国枝史郎山窩の恋』、椋鳩十『盲目の春』、細島喜美『野性の女』などはそのものズバリだし、田山花袋『帰国』、中村吉藏『無籍者』でも女性が準主人公を演じている。作者が男性だからということもあろうが、人間の前近代的な生き方をノスタルジックに描く時に、とりわけ女性性をクローズアップしている点が興味深い。そう言えば田中の『サンカ研究』にも多くの女性の写真が掲載してあった。

 このような特徴を持った作品群をまとめて、21世紀を10年以上も経過した今日に出版した意味は、やはり私たちが「遠くに来すぎたこと」を表しているのだろうか。