引井総男の何か

読書、音楽、写真、散歩などの気ままな記録

気ままな読書録1 エラスムス

 中央公論社『世界の名著』シリーズ17巻、「エラスムス、トマス・モア」の「エラスムス」の方を読み終えた。一体いつから読んでいたか思い出せないほど時間がかかったのは、第一に読むのが遅い、第二に一つのことを1時間以上続けられない、第三に休みの日だけに読んだという3要因が関わった。休みの日読書では、他にドイッチャー『トロツキー3部作』、岩波『日本思想大系』シリーズ『道元』も読んでいるが、どちらもゴールはだいぶ先だ。

 エラスムスは姓。名はデシデリウス。Desiderius Erasmus。ラテン語みたいな氏名だ。1469年に生まれ1536年に亡くなった。生年は66年か67年かもしれないと言われているのは、父が聖職者であるのに母は医師の娘という聖俗身分間の密かな男女関係のもとに「私生児」として生まれたからだ。それでも知識身分の子どもとして知的な環境を与えられて育った。心理的には寂しかっただろうけど。

 『痴愚神礼賛』はエラスムス34歳、1511年の作品。ただ1500年、23歳の年に『格言集』という本を生活のために出して、1533年まで改版増補されるロングセラーを書いていた。言ってみれば流行作家のような学者だった。

 世界史の教科書で知った時から不思議な書名だと思っていたけど、要は「痴愚神」が聖職者の愚かな言動を揶揄すると同時に、聖職に蔓延する愚行があるからには「痴愚神」を礼賛するのは当然だとする皮肉を言葉巧みに表現しているのだ。知ってみると、強烈な書名である。

 ここまで捻っているから、当時のパリでベストセラーとなり、禁書にも指定されていない。しかし内容的には実に痛烈にキリスト教教会、修道院、神学界を批判している。頭脳的に数段エラスムスが上回っているので、支配的宗教家が付いて行けなかった結果だろう。人文学の間でルネッサンスを代表する作品の一つとされる所以がよく判った。ここからフランソア・ラブレーまではほんの数歩の距離しかない。

 『対話集』はエラスムス41歳、1518年に出版されたが、自身は知らぬうちに版元が売り出してしまった。エラスムスは憤慨し、マルティン・ルターは称賛したという。対話形式を使った物語の数々を集めた作品だが、『痴愚神礼賛』よりもさらにキリスト教教義と慣行の矛盾を徹底して突いていて「危険」極まりない。世俗にも広まるような表現を採っているので、影響は大きかっただろう。

 この中公版『エラスムス』は1969年に初版発行。翻訳は渡辺一夫と二宮敬。さすがに安心して読める、熟れた翻訳だ。